前記事より続いてのシリーズです。
読んでない方はこちらから読むことをオススメします。
ユダヤ教に関しては前の記事でお話ししましたが後ほどまた。
まずは世界一の信者を誇るキリスト教から
キリスト教
先ほどの記事のような時代に、現パレスチナにあるベツレヘムでイエスキリストが誕生する。(B.C4年)
妻ナザレと夫ヨセフは大天使ガブリエルにより処女のまま神の子を身ごもったことを伝えられたとされる。
(処女マリアからイエスが生まれる)
神のこの誕生を知ったヘロデ王は、新たなる救世主の誕生を恐れ、ベツレヘムにいる2歳以下の子供を虐殺したとされる。
その際、天使のお告げを聞いた父ヨセフと母マリアはイエスを連れてエジプトに逃げて難を逃れたとされる。
イエスもその弟子達もユダヤ人で、ユダヤ教だった。
ヘロデ王の死後、ナザレに戻ったイエスはヨルダン川のほとりで洗礼者ヨハネに洗礼を受けたとされる。
その後、イエスは悪魔の誘惑に打ち勝ち、伝道を開始。ある日、イエスは山の上で弟子たちに教えを説いた。(山上の垂訓)
「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」
「隣人を愛せ」などのキリスト教の神髄が語られたとされる。
その後、イエスは嵐を沈めたり、水をブドウ酒に変えたりなど数々の奇跡を起こし、名声を高めていった。
ユダヤ教の律法重視の方針に疑問を感じ、独自の伝道を行なっていたイエスであったが、ユダヤ教の長老らに目をつけられる。
自分のことをメシア(救世主)と言ったり、神の子と言ったり、モーセの教えを軽視したため、ユダヤ教の指導者は我慢ならなかったと思われる。
そしてエルサレム入城前夜、最後の晩餐にて、ユダの裏切りにあい捕えられた。
この最後の晩餐が行われたとされる部屋はまだ現イスラエルに残っている。
ユダの裏切りによって捕えられたイエスは、処刑場であるゴルゴダの丘まで重い十字架を担いで運ばされ、その後磔刑となった。
しかし、埋葬の3日後にイエスは復活し、使徒達に自分は神の子であることを確信させたとされる。
復活を遂げたイエスはその後40日後に昇天し神のもとに帰ったとされる。その後10日すると弟子達の前に聖霊が降臨したとされている。
この復活を祝うお祭りが、かの有名なイースターである。
その後、イエスとともに伝道を行なった十二使徒やパウロによりキリスト教は伝道されることとなる。
この頃、イエスの教えや言行を伝えるために作った「新約聖書」がこの頃に完成し、キリスト教の聖書となっている。
また、ユダヤ教の聖典であるヘブライ語聖書を旧約(古い契約)聖書とし、「旧約聖書」「新約聖書」合わせてキリスト教の聖書とされている。
旧約聖書はユダヤ教の聖書であるが、大元の神様、世界の始まり、アダムとイブの物語などはユダヤ教と共有していることになる。
旧約聖書では、アダムとイブが邪悪な蛇に唆され「知恵の木ノ実」を食べてしまったためにエデンの園から追放されたとされている。(失楽園)
それにより男には労働の苦しみが、女には出産の苦しみと男への従属が罰として課せられた。
このアダムとイヴの罪は人類に遺伝し、人類は神に対する「原罪」を背負っていると考えられている。
そして、この原罪をすべての人々に変わってイエスが罪を背負い、十字架にかけられ贖罪したとされている。
キリスト教の始まりや考え方は簡単にお伝えすると以上の通り。
次第に考え方の違いによりカトリック教会、東方正教会、プロテスタントなどの教派が生まれるが、この話は長くなるので割愛させていただく。
また、イエスが伝道していた頃のパレスチナではユダヤ教が生活に根付いていたため、イエスが説いた教えは弾圧されており、その後も多神教であるローマ帝国の宗教からも迫害を受けていた。
しかし、313年にコンスタンティヌス帝の「ミラノ勅令」によりキリスト教が認められ、ついには392年にはローマの国教となり世界に広がっていったとされる。
その後、395年にはローマ帝国は東西に分裂し、東は東ローマ帝国(ビザンツ)となり、コンスタンチノープル(現トルコ・イスタンブール)を首都としてその後も栄えていた。
話を戻すと、現在、エルサレムにはイエスが昇天したとされる場所に昇天教会、イエスの墓には聖墳墓教会、最後の晩餐をした部屋など、キリスト教関連のスポットが数多く残っている。
次はユダヤ教
ユダヤ教
ユダヤ教は先ほどの記事で紹介した通りだが、その後ディアスポラにより世界中に離散してしまう。
しかし、ユダヤ人達は世界各地で自分たちの教えを守り続けてきた。
しかし、キリスト教の宗教的熱狂が頂点に達した12-13世紀ごろ、1215年に行われた第4回ラテン公会議において、キリスト教徒とユダヤ教徒の交流が禁止された。
十三世紀後半から「ゲットー」と呼ばれるユダヤ人隔離居住区なども設けられ始めた。
持ち前の選民思想(ユダヤ人は神に選ばれし民)とキリスト殺しの肩書きがあるユダヤ人達は、キリスト教社会から迫害され続けた。
その頃、蔑まれていた職業であった金融業や商業しかできなかったものの、それを生業としたユダヤ人の中では経済的な存在感を強めるものもいた。
(その後のロスチャイルドなどもユダヤ人であり、ユダヤ人は現在の金融の仕組みを作ったとされる)
そのため現在でも、ユダヤ人達は金融業や金貸し、銀行などで活躍しており、アメリカの大企業の大半はユダヤ系資本で占められていると言われている。
アメリカにいるユダヤ人は全体の2%弱にしか過ぎないものの、アメリカの政治・経済の要職の約半数はユダヤ人とまで言われることもある。
ユダヤ人には優秀な学者や芸術家が多いのは、職業選択の幅が狭められたことが遠因となったとも、教育にかける情熱が強いからとも言われる。
迫害され続けられた民は、他人が奪うことのできない知識こそが最大の資産と考えていたのだろうか。
ユダヤ人は世界の人口の0.2%にしか過ぎないが、ノーベル賞の約20%を占めると言われている。アインシュタインなどもユダヤ人である。
アメリカにおいてユダヤ人の影響力は絶大で、ユダヤ人を敵に回すと選挙に勝てないとまで言われている。
アメリカがイスラエル寄りなのはこの為であるとされる。
ここで一区切り。
ユダヤ人やエルサレムについて、現イスラエル・パレスチナ問題は別の記事で触れることにしようと思う。
続いて何かと話題のイスラム教の話に移る
イスラム教
イスラム教はこの3つの宗教の中では1番始まりが遅い。イスラム教はムハンマドによって創始された宗教である。
ムハンマドは普通の人間であり、570年頃にメッカで生まれたとされる。
その後の40歳で神の啓示までの生活ぶりについてはあまり知られていない。
40歳の頃、メッカ(現サウジアラビア)近郊のヒラー山で瞑想している際に、突然、大天使ガブリエルによって神の啓示を伝えられる。
(ヒラー山)
44歳の頃、妻のハディージャに励まされ、預言者ムハンマドとして布教活動を開始。
啓示は一度だけではなく、ある時は天馬プラークにまたがって一夜でエルサレムに赴き、昇天して神に接見するという奇跡(ミラージュ)を体験したとされる。
(天馬に乗り昇天するムハンマド)
その際、ムハンマドはエルサレム神殿の岩から昇天したとされる。その途中では、旧約聖書のアダムやアブラハム、モーセ、イエス・キリストなど、8人の預言者たちと出会ったとされる。
最後に神アッラーと接見した後、再び天馬ブラークに乗って、カーバ神殿に戻ったという伝説がある。
ちなみに、ムハンマドが昇天したとされる岩を守るため、691年に岩のドームがイスラム教徒によって作られた。
この際の神からの言葉を記した啓典「コーラン」がイスラム教の聖書である。
その後も布教活動を続けていたムハンマドは、メッカの大商人などから迫害を受け、52歳の時にメディナへ移住。
この年を紀元元年とするヒジュラ暦が採用されてきた。
メディナではウンマという共同体を形成し布教活動をしていたとされる。
その後、60歳の時にはメッカを無血征服。
これによりアラビア半島の他の部族も次々とイスラム教徒に入信していったとされる。
こうしてイスラム教は始まったとされている。
ちなみに、イスラム教の聖地は、ムハンマドが昇天した場所であるエルサレム、生まれたメッカ、避難したメディナが聖地とされる。
避難したメディナ近郊ではユダヤ教徒たちと連携しようとしたムハンマドであったが、ユダヤ教徒たちに「偽預言者」と言われ、ユダヤ教徒を敵に回す。
また、「神は生みも生まれもしない」との立場からキリスト教とも決別したとされる。
ヒラー山で瞑想中にでてきた大天使ガブリエルは、マリアにイエスを身ごもったことを知らせた天使と同じ天使であり、イスラム教は旧約聖書、新約聖書の影響を大きく受けていることがわかる。
そのため、イスラム教の聖は旧約聖書、新約聖書、コーランとなる。
つまりこの3つの宗教の大元の考え方は同じである。
天地創造、アダムとイブ、天使と悪魔、ノアの箱舟、モーセの出エジプト紀などの旧約聖書の神話は全て共有している。
また、終末観に関しても、死者が復活し、最後の審判で天国と地獄に振り分けられるという死後の世界の考え方も同じなのである。
それぞれ「神」を表す呼び方が違うだけで、指している存在は同じ。
ユダヤ教徒はヘブライ語での神の意、ヤハウェ、キリスト教はゴッド、イスラム教はアッラーと呼んでいるだけである。
これはの3つの宗教はアブラハムを共通の祖とする宗教であり、3つ合わせて「アブラハムの宗教」と呼ばれる。
また、イスラム教徒から見て、ユダヤ教徒、キリスト教徒は「啓典の民」と言われている。
イスラム教の考え方では、啓典の民は神の啓示を間違って理解しており、ムハンマドがその教えをただしたと考えているのである。
要は、何がいいかというと、
同じ存在の神様が話したことを基にした宗教であるため、考え方が非常に似ているということ。
そのため聖地が一箇所にまとまっているということ。
どうでしょう。歴史で出てきた「エルサレム」のことが少しわかってきたでしょうか?
とてもワクワクするのは自分だけでしょうか。
それぞれ同じ神とは言えど、エルサレムの支配者は変わりがわりであったため、色々な出来事を経て今のエルサレムがあります。
例えば、歴史の中でユダヤの神殿は壊され、嘆きの壁しか残っていません。そして、先ほど出てきた岩のドームは、かつてユダヤ神殿があった上に作られています。
かつてユダヤ人国家が繁栄していた城はローマ帝国に壊され、その後きたイスラム教徒によって岩のドームが作られる。
こんな聖地の「取り合い」が、過去何回も続いてきた歴史があるエルサレム。
考え方の違いでたくさんの人が殺されてきた。
エルサレムを語る上で、宗教は外せない話題のため、関連のある各宗教を簡単に説明した記事でした。
次の記事は、ようやく、パレスチナ問題に入ろうと思います。
つづく
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